ありがとうございます!

今日でこの日記を書き始めてから2周年を迎えました。拙い文で感じたことや些細なことを毎日書き綴ってきて、何物にも換え難い貴重な財産を蓄えている実感を、こういう節目に感じますよ。
その日に感じたことは、またはその時に感じたものは、その時の自分にしかわからないものです。後になってから記憶を手繰り寄せて同じ感情を得ようとしても、限りなく近付いた程度で、決して同じものを噛み締める事は出来ません。
その過去の、ある瞬間を認識した時点で自分だけのものになりはします。喉が渇きに渇いてやっと水分を得たときに感じた「生き返る」という実感は、日陰で寛ぐ隣人にはわかりはしません。人と人は完全には解り合えないことが先行してコミュニケーションを恐れる、そういう話には飛んだりしませんけども、何事も自分が体験したことは掛替えのない自分だけの宝物になるということを忘れないようにオレは胸に刻んでいます。勿論気を害する嫌な体験も生きていく中でしばしばありますよ。でも、その嫌な体験も昔から培ってきた経験と照らし合わせることで、何かのヒントを見出せます。無論何かを作るときに参考にも出来ますしね。
いつだったかこの日記は、備忘録という役も担っていると書いた覚えがあります。オレは当然のこととして毎日が意味のあることだと思っているので、その中で忘れたくないことを記しているんですね。時にはこうだったらいいなぁ、てな感じで反省とも抒情とも、向上の意味を込めて書いています。やはり未来を見越す・・・とまでは言えないけれども、未来へ繋げる事を意識しなければより良い方向へ進めないと感じます。
ある折に触れて興味が湧いた本があり、読み始めて一気に読みきってしまった作品があります。

海の仙人

海の仙人

先日芥川賞を受賞した糸山秋子さんの作品「海の仙人」。幸運から大金を掴んだ男が、海沿いで生きることに消極的とも積極的とも判断がつかない生活を送ります。そこでは人との出会いが起こる度に、男の過去が明らかになります。そうですね、人との出会いには過去が必要なのか、それとも過去がなければ人と出会えないのか、そんな一考に価しないでもない疑問が過ぎりました。とは言っても答えは二者両立だと思うんですけどね。どちらが欠けても成立たないってやつです。
そもそも、初めに疑問として浮かび上がるのは、ファンタジーが何者かという事。タイトルから推量するに、ファンタジーが海の仙人と思いきやそうとも言い切れなかったり。超人的であるので、とにかく生態や言動が人間とは一線を画しているのは確かです。このファンタジーが主人公である男、河野と暮らしを共にするのですが、突然行動から離れたり、急に現れたりで話を次のステージへと運んでくれます。
ですが、この話にファンタジーが登場しなかったら、物語は、河野の人生はどう変わったかを想像してしまいます。人生が180度変わるのでしょうか。オレにはそうとは思えません。いくつかの点の運命が河野には用意されていて、それらをどう結ぶかは自由であるけれども、必ず全ての点を通ることが何かの法に決定されていると考えます。そうなると、ファンタジーは点に留まっている河野を次の点へと導く案内人と見えてきたのですよ。
実は、この作品の読後に浮かんだ言葉は「将来への見通し」です。
登場する人物はオレよりも年上の、家族を囲んでいそうな人ばかりです。彼らを見て夢に向かって進むことが素晴らしい事だと思えましたし、殊勝な事と思えました。ですが、こうはなりたくないと思ったのが本音です。言い換えれば、オレの十年後はこうでありたくはないと思ったのです。価値観の相違ですから、考えは多種多様であると思います。それでも仕事や、やりたい事をして生きることで、人を愛し、人と共に生きる姿が見えない生活は、オレには到底理解できない事です。翻って時に人に傷つけられ、時に誰かを傷つけてしまう事を十年後の自分には無関係とは言い難いですよ。確かに充実した時間を十年後の自分に功を奏すかどうかは、誰一人としてわかる事ではありません。
でもね、今度は将来の自分自身を考えてください。十年後の自分がこの瞬間の自分の行いをどう思うか。品行が整っていなかったとか、もっと勉強をしていればとか思うかもしれません。しかしそれは自己実現への糧になる事ですよ。もっとも根に残ることは、モラルに反した行いではないでしょうか。作中にも河野の過去に後悔の残る事が起こっていました。彼が被害者ではあるものの、加害者という立場に立たされているのです。その本来の加害者である人のモラルが薄かった事によって両者の溝が埋まらないまま、時間が流れていったのです。そのことが後を引きずって、しこりを残したまま人生に作用したことが、作中では結果的に悲しみを生み出しました。咎められないことが即ち許されたという事にはなりませんよね。これが、時間が解決しない場合の例だったのかなぁと思いました。
とまぁ長々と書きましたが(もうそろそろ今日が終りそう)、最後は救われましたね。見てくれている人は居ると言うか、河野の心に人を求める心が芽生えて、それに惹き付けられたと言うか、解釈は色々あるとは思いますが、悲しみの終焉の後にはいい事があるとオレは信じています。
やっぱり、今日感じた事は今日のオレにしかわからないでしょう。でも過去は語れます。
またこれからも毎日日記を書き続けていきます!去年と同じように、明日にでも過去の日記を振り返ってみますよ。
それと、今日もカレーを友人達と食してきたのですが、その報告は明日にでもちょろっと書きます。ちなみに、友人にしかわからないけど、例のカレー屋には雨が立ちはだかって行けなかったよ・・・・・・・。