つかれた

お盆なので、仏壇とかその他を掃除。死んだじいちゃんの位牌を綺麗に掃除する時に、一緒に電車に乗って祭りを見に行ったことを思い出してみたり。
当時のオレはまだ幼稚園に入っていたかそうではなかったか分からないほどの歳で、記憶は鮮明ではなく、印象深い出来事を記憶として留めているのです。たしかじいちゃんが周りに見当たらなくて、見渡して見つけたじいちゃんの所に「おじいちゃん」と声をかけてズボンの裾を掴んだら、振り返った顔が全くの別人で、驚き慄き、泣きそうになったオレを後ろから声をかけてくれたじいちゃん。
じいちゃんは心の中にいます。声を聞かなくてもオレが脳軟化症になろうとも忘れません。傍にいるようでオレがへまをやらかすと、口をへの字に曲げて、それでも目で笑って見ていてくれています。これがオレだけの真実。いなくてもいる。想えば答えてくれる。
誰かの顔に何か書いてあろうとも、顔に書かれてあるものを自分で解釈、理解している。互いに分かり合えないのが事実ではないのかもしれない。
オレの頭の中のことなので、これくらいで。目頭が熱い。もう零れた。