なんつーかな

電車や徒歩で移動している時じゃなくて車を運転している時にふと考え付いてしまったのですよ。
いろいろな作品に触れなくてはならない
これこれ。人が作ったものに限らず目に飛び込んでくる自然や存在する物、全てに触れなくてはならないってこと。もちろん人にも。出会いは新たな出会いを生んでくれるのです。それが輪になって自分のもとへ巡ってくる場合もありますよね。
どうやらオレは出会いに充足して満足していたようでして、つまり怠けていたようです。心が満ちていたと錯覚していたのかな。
心の中にはいつだって何かが収まっている。習慣の中で無意識にしている行動中でも、心に穴が空いているときなんてない。
「心に穴がぽっかりと開いたようだ」
って言葉に幾度となく出会ったけど、その言葉を吐いている時には焦燥の感情で埋まっているはず。ただ、満ちてはいない。
感情は自身が納得するために行動の後に生まれる。それと複素数みたいなもので大きさなど無い様に思えるけど、大小を計るのは行動の量だと思うのですよ。その行動を怠っては心が満ちてやる気に昇華されるわけがない。
自分の外にあるものから情報を得て、どんなフィルターを通してそれを受け取り判断するか。十人十色であるのは言うまでもないこと。そこからまた人から人へ情報が発せられて・・・それの繰り返し。情報の終りは風化なんだろうなぁ。人の頭の中から削られ薄れていく。消滅はないと思いたいけどどうなんだろう。
外罰的に面白い作品がないや、と決め付けては何も始まらないですよねぇ。触れなくては判断さえ出来ませんから。考えてみれば簡単なことなのに、その容易さ故か、はたまた忙しさのせいか睡眠不足のせいか。大事なことを疎かにしていた自分に反省。
昨日見た雪の景色に心を動かされてワクワクしたことを反芻して、様々な事象に触れて、求めるために行動に移しますよーっとここで風呂。風呂から上がったら寝る。明日のオレに最良のバトンタッチするためー。